金閣寺、銀閣寺へ行って来た【京都ぶらり紀行】




 

前回【北野天満宮へ行って来た【京都ぶらり紀行】

貴船神社で二枚の絵馬を描き、瑠璃光院で門前払いをくらい、
下鴨神社でウンを払い運を祈願し、北野天満宮で牛を撫でた彼は続いて金閣寺へと向かう。

金閣寺に降り立つ阿呆



金閣寺の正式名称は「北山鹿苑寺」である。
もともと「金閣」とはこの鹿苑寺にあるお釈迦様の骨を納める舎利殿(しゃりでん)のことなのだが、見た目のインパクトもあってかこちらが有名になってしまった。
その為「金閣寺」と呼ばれるようになったのだという。

この金色に輝く舎利殿(以下、金閣寺)を見るには拝観料400円が必要だ。さすがは天下の金閣寺、そう易々とその姿を拝むことは出来ないのだ。彼は渋々小銭を差し出し金閣寺へと踏み込む。
大勢の観光客からカメラを向けられながらも、相変わらず金閣寺は黄金に輝いていた。
彼にとってはもう4度目の来訪であるが、いつでも金閣寺は金色だ。この姿勢にはプロ意識を感じざるを得ない。ここまで年中金色なのは金閣寺かピコ太朗くらいのものだ。

ここで彼は、ふと思い立って売店へと向かう。

神社やお寺にそこまで興味はないが、せっかくなので御朱印帳を買った。

金閣寺ならではのピカピカに輝く御朱印帳である。

既に金閣寺の御朱印が描かれており、何が描いてあるかはちっとも分からないもが心が躍った。

「この際、銀閣寺にも行くしかあるまい。何故なら俺は朱印が欲しい」

彼は黄金のご利益をその身体に宿しながら、次なる仏閣へと向かうのだった。

哲学の道を歩み、銀閣寺へと進む阿呆

銀閣寺前の哲学の道は日本の道百選にも選ばれた由緒ある道だ。

かつて京都大学の哲学者・西田幾多郎や田辺元らがこの場所を好んで散策し、思案を巡らしたことからいつからか「哲学の道」と呼ばれるようになったそうだ。この道をかつての秀才たちが好んで歩いたのだと思うと、不思議と自分の頭が冴え渡るような気がした。天満宮の牛の力が働いているのかもしれない。

 

銀閣寺の正式名称は 「東山慈照寺(ひがしやまじしょうじ)」 、 相変わらず銀色ではなかった。

銀閣寺が銀色ではないのに銀閣寺と呼ばれている件については諸説ある。

「金閣寺と対照的にそう呼ばれた」
「銀を貼るお金がなかった」
「 外壁の黒漆が日光の加減で銀色に輝いて見えたから」

何にせよ、「銀閣寺」という呼び名は造られたしばく後になって生まれた呼び方らしいので真意の程は不明である。銀色ではないが、彼は銀閣寺がなんとなく好きだ。

「朱印を下さい」

まるで御朱印巡りに長けた男のような熟練度を醸し出す彼だが、まだ2つ目である。ハッタリでここまで生きてきた彼はこういうところで強い。ほとんど詐欺師だ。

参拝をして、朱印をもらった。金閣寺に続き、銀閣寺の朱印が彼の御朱印帳に記された。気分は壮大なスタンプラリーである。

一つずつ溜まっていく朱印が愛おしく感じられる、願わくは貴船神社や北野天満宮の朱印も欲しかったが同じ場所へわざわざ行くほどの労力は掛けたくないという怠け者の心が邪魔をしたため、それらは次回の京都旅へと持ち越すことにした。

そして、いよいよここらで彼の疲労もピークを極める。
普段全くといってよいほどに運動をしていない彼の両足は既に軽い筋肉痛に見舞われていた。

「このままだと死ぬ、一旦宿に戻って体力回復を図らねば」

銀閣寺からの帰り際、彼はお土産どおりでおばあさんの客引きに合ってまんまと八橋を買った。元祖八橋、ここではおばあちゃんが一つ一つ八橋を手作りで作っているそうだ。

3箱の購入を決めると、目の前で一つずつ作って渡してくれた。
何を隠そう彼はおばあちゃんっこである。それ故、おばあちゃんには大層弱いのだ。ついつい多めに買ってしまったが後悔はしていない。

「いい買い物をした」

彼は右手に3箱の八橋をぶら下げて帰路についた。

続く。。先斗町へ行って来た【京都ぶらり紀行】




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

ABOUTこの記事をかいた人

トラベルライター&ブロガー。旅行会社で副店長の順風満帆な生活をぶん投げて、大冒険の日々を送っています。26歳。最近は体型がジャイアンに近付いていることに危機感を感じている。