この部屋はぼくのものじゃない




こんにちは、のび太(@ababaisme)です。

 

ふと寝転がって天井を見つめながら、

ぼんやりと「この部屋はぼくのものじゃない」などと思っている。

いや家賃は払っているよ。

病んでないよ。

 

「住まい」を中心点として生活が広がる

ぼくは今までに6つの住居を経験している。

 

1,生まれ育った実家。

2,初めての一人暮らし、八王子みなみ野の新しいアパート。

3,世田谷区、千歳船橋の鉄筋アパート。オートロックだった。

4,大阪、淀屋橋駅ちかくのマンスリーマンション。仕事の都合で2ヶ月くらい滞在した。

5,今住んでいるアパート。茨城県古河市。

6,新居になった実家。

 

住まう場所が移り変わるごとに、生活環境も変化するのは、まあ当然として。

歩く道、買い物をするお店、すれ違う人たち、乗り込む路線、

住まいを変えることで自分の居場所が増えていく。

知らなかった地図が自分の中に広がる感覚はとても気持ちが良い。

 

けれど、ふとした時に気がつく。

この部屋はぼくのものじゃない。

 

現在の住まいはやがて「景色」の一部になる

アジカンのソラニンにこんな一節がある。

「昔 住んでた小さな部屋は 今は他人(だれか)が住んでんだ」

この曲の作詞は漫画家のあさのいにおさん。

漫画「ソラニン」で種田が作詞作曲をした楽曲だ。

 

どのアパートのどの部屋も

確かに生活を送った大切な居場所だったけれど、

今はもうぼくの部屋じゃない。

季節と同じで、というか季節に乗っかってその部屋の住人も移り変わる。

ぼくが暮らしていたあの頃から数えて、今は何人目の住居者がそこに居るのだろう。

 

たまにふと、あの頃のことを思い出してふらっと訪れたくなる。

かつて生活していた町を、家までの道を、何の気なしに歩きたいなと思うことがある。

そこにもう居場所はないけれど。

 

思うに、あの頃のことを懐かしめる相手というのは他に誰もいない。

そこにはぼくの、ぼくにしかわからない生活の記憶がある。

「あそこのパン屋さんでよく買い物をしたな」

「真夜中にこの道を歩いたな」

そんな話を共有できる相手はいない。

ぼくにしかわからない懐かしさがそれぞれの町に残っている。

 

自分の中に沈殿している記憶をサルベージするために、懐かしい町を歩く。

そうやって懐かしさを体感した先にあるのは、虚しさなのか、郷愁なのか。

 

虚無感に襲われて死んでしまいそうになるかもしれないので、

未だにぼくはかつて生活を送ったあの町へは行けずにいる。

 

今住んでいるこのアパートも いつかは景色の一部になるんだ

そんな曲を昔つくったことがある。

そろそろ一度くらいは、懐かしいあの町を訪れるには良い頃合いなのかもしれないなと思う。

そこに何がなくても誰がいなくとも、きっと揺さぶられるものがあるんだろうなあ。

 

 

 

なにこのエモい感じ。

おっぱいおっぱい

 

 

 

それでは、また。




ABOUTこの記事をかいた人

トラベルライター&ブロガー。旅行会社で副店長の順風満帆な生活をぶん投げて、大冒険の日々を送っています。26歳。最近は体型がジャイアンに近付いていることに危機感を感じている。