お婆ちゃん子だった僕




こんにちは、のび太(@ababaisme)です。

 

僕は幼稚園に上がる前からばあちゃんに面倒を見てもらっていました。

その為、未だに家族で1番仲が良い相手はばあちゃんです。2人ともサル年なので気が合います(?)

今回はそんなばあちゃんの話でもしようと思います。

世話役がばあちゃんだった

まずは我が家の家族構成。

父、母、、妹、爺、婆.

父方の実家に暮らす6人家族でした。※爺は既にこの世からリタイアしています

 

貧困ではないものの決して裕福な家でも無かったので当然のように父母は働いておりました。爺ちゃんも働いていました。

 

僕が生まれたのは平成4年。父23歳、母22歳。婆ちゃんはまだ46歳でした。若っ。

これを期に婆ちゃんはそれまで働いていた共済組合(よく分からん)を退職すると、退職金をたんまり貰って孫の世話を見る事にしたそうです。僕が赤ん坊からそこそこ育つと、育休で家にいた母親も労働の日々へと復帰し、その間の世話役が婆ちゃんとなりました。

婆ちゃんは優しいので何でも買ってくれます。完全に甘やかされて育ちました。孫は可愛いもんだと良く言いますが、本当に可愛いかったんでしょう。

当時の僕は小堺一機似の猿みたいな子供でしたが、同じサル同士愛着もあったんでしょう。

我が家はくそ田舎なので車の運転ができないとコンビニに行く事さえ困難です。

婆ちゃんはガッツリ働いていた事もあり運転なんてお手の物。昔から近所のゲームセンターに連れてってもらったり、欲しいオモチャやお菓子を買ってもらっていました。

子供なんてのは厳禁なものです。教育のために怒る役の母親よりも、甘やかし与える役の婆ちゃんの方が普通に好きでした。笑

 

母よりも婆ちゃんを選んだエピソード

僕が3歳の時に妹が生まれたのですが、この時に母は産休からの育休の流れでしばらくの間家に居ました。その為、僕も妹も母親に面倒を見られるという時期があったのです。

しかし僕はお婆ちゃんっ子。

婆ちゃんが1人で何処かへ出掛けてしまうと、僕は大泣きして「ばあちゃん〜〜!!!」と祖母を追い求めます。

母親は仕方なく地元のショッピングセンターへと車を走らせ、僕を買い物中の婆ちゃんへと送り届けたーー、という世にも悲惨な事件がありました。

母親よりも婆ちゃんを取る息子。僕が母親の立場だったらそんな息子もう子育て放棄しますね。

婆ちゃんにとっては超嬉しいエピソードだったんじゃねえかと思ってます。母親よりお婆ちゃんが好きなんだもん。すごいよね。完全に餌付けされたサルだよね。

 

婆ちゃんはいつだって心配性

やがて僕は小学校に上がります。小さい身体に真新しい黒いランドセルを背負って、僕は片道40分くらいかけて毎日雨の日も風の日も登校しました。

婆ちゃんは心配性なので、下校の時には家から10分くらいのところにある商店まで自転車で迎えに来てくれました。その時は自転車の後ろに乗せてもらって楽して帰ります。ラッキー。

僕が成人しようと、25歳になろうと、婆ちゃんの心配性なところは変わりません。いくつになっても孫は孫ということなんでしょう。もう小堺一機にはあんまり似てないです。

 

いくつになってもアクティブ婆ちゃん

婆ちゃんは基本的に元気です。

今まで僕が知っている限りでもダンス、カラオケ、手芸、体操など色んな習い事に手を出しています。

現在進行形で毎日30分の体操と、週に1度のカラオケを習っています。

たまにカラオケ発表があると僕は仕事を休んで見に行ったりします。周りにはおじいさんおばあさんしかおらず、若者は皆無。よく知らないお婆ちゃんに飴玉とかもらってます

とにかく慌ただしい婆さんなので、家でジッとしている事が出来ません。その為、日中は大体家に居ません。近所のスーパーへ買い物に行ったり、友達の家に遊びに行ったり、親戚の家にお邪魔して居たり、とにかくスピード感のあるババアです。

僕がお喋り好きなところは隔世遺伝で婆ちゃんから受け継いだものでしょう。

うちの家系でおしゃべりクソ野郎なのは婆ちゃんだけなのです。

 

そこそこ自慢の孫だった

僕は田舎育ちで近所のじいちゃんばあちゃんと話すのが好きなので、小さい頃から家周りをウロウロしてお年寄りに可愛がってもらってました。

その為、年寄り受けが良い。

中学高校と生徒会長をやっていた事もあり、婆ちゃんにとってはそこそこ誇らしい孫なんです。

自分のクソっぷりは自分が1番分かっているので「頼むから恥ずかしい事は言わないでくれ」と常々言ってはいるものの、相変わらず「うちの孫は優しい」と吹聴しています。やめてくれや。あんたの孫そこそこクズやねん。

 

爺ちゃんの分まで婆孝行したい

うちの爺ちゃんは喋り好きの婆ちゃんとは打って変わって寡黙な人でした。口数は少ないものの、僕と妹には甘い爺ちゃんでした。

財布の中にお札が入っていなかった筈なのにお金が補充されてる!なんて事があると、その正体は爺ちゃんでした。慈愛に満ちた菩薩のようだ。小・中学生の頃は隣町の映画館までよく友達と共に送ってもらいました。懐かしい。

そんな爺ちゃんも66歳の若さで他界。早すぎやねん。

生まれて初めてのお葬式は爺ちゃんのだったんですけど、その人徳からか会場に入りきらないくらいの人が駆けつけてくれました。

急遽パイプ椅子を追加してすげえ人の中で執り行われたお葬式、僕はきっとあの光景を忘れる事は無いでしょう。爺ちゃんは口数こそ少ないひとでしたが、周りの人からの信頼も厚く僕にとって自慢の爺ちゃんです。

つーわけで、僕が高校受験をする直前の2月に亡くなってしまった爺ちゃん。当時14歳の僕が爺ちゃんに何か恩返しが出来ていたかと言うと、まあ何にも返せてなどいませんよね!!!

だから爺ちゃんの分も婆ちゃんへ恩返ししていかないといけない。そんな風に考えています。

急がないと婆さんもくたばっちまうからな。

 

2人で浅草に行きました

先日は婆ちゃんを連れて東京は浅草観光へ。生まれた初めて東京スカイツリーにも登って来ました。

婆ちゃんは嬉しそうに、お土産さんに寄る度に「今日は孫が東京に連れて来てくれんだ」と話します。田舎者オーラ全開かよ。2人でスカイツリーで撮った写真が実家のリビングに飾られています。

スカイツリーのぼって、浅草で賽銭入れて、寿司食って帰って来ただけです。こんなもんの10回や20回で恩を返せるとは思っちゃいませんが、お互いに元気なうちに出掛けられたら良いなあと思いました。

 

お酒も嗜む73歳

婆ちゃんは毎日ビールをコップ一杯飲んでいます。

僕はお酒が苦手なので自発的に飲む事はありません。

先日解禁した2018年ボジョレーヌーヴォーを買ったそうなので、晩酌にでも付き合ってやろうかなと思ってます。

 

 

こんな散文を書いていたら会いたくなった来た・・・。

今度の休みには婆ちゃんに会いに行って来ます。

 

それでは、また!!




ABOUTこの記事をかいた人

トラベルライター&ブロガー。旅行会社で副店長の順風満帆な生活をぶん投げて、大冒険の日々を送っています。26歳。最近は体型がジャイアンに近付いていることに危機感を感じている。